青年会

金澤寺の歴史

親父の背中を見せる会

■各青年会での活動の一部です

今、生かされていることの喜び

平成7年1月17日、前年度1月16日に先住でもある師僧を亡くし、現住の寺を継いだ私は、先住の小祥1周忌の法要の準備に追われていた。当時、28歳になる私は、本堂しかなく檀信徒の立ててくれた6畳2間のプレハブに住んでの5年目であった。

何気なく早朝テレビをつけると、そこは日本の映像とは思えぬような光景が、報道されていた。あたり一面、がれきの山と化し、所々では火災も発生しているようであった。
その時は、曹洞宗埼玉県第2宗務所青年会を立ち上げたばかりであり、組織もままならない青年会では何もすることなく済んでしまったのが、今でも心残りなことであり、現在も1月には神戸にお参りをさせて頂く所以の一つでもある。

私には震災を通して、忘れられないことがある。寺の隣のそのおばあさんは、糖尿病を患い失明し、10キロほど離れた大学病院に入院していた。震災当日、テレビのニュースを耳にしていたそうである。神戸がどれほど遠いところであったか分かっていただろうに、そのおばあさんは、病室のスリッパのまま行方不明となった。
2か月もの間、隣組では捜索を行った。病院から家までの経路、家の近所の山の中まで手分けをして探し続けた。お彼岸を前にした3月、病院からすぐ近くの寺の山の中で、入院中のそのままの姿で衣服も乱れることなく、山の窪みにうずくまっている姿で発見された。すぐに、葬儀が行われたが、目の見えないそのおばあさんにとっての大震災は、さぞかし怖かったことであろう。

また、2年ほど前より、地元中学校の非常勤講師として講座を持っている。その中で、「激震の記録」というDVDを見せ、当時神戸市の教育委員会が発刊した、「わたし あなた そして みんな -震災 人間を学ぶ-」という本の市内192校園から寄せられた作文の一部を読み聞かせ、命の尊さ、自然災害の怖さ、ボランティアを通して助け合う事の大切さを説いている。昨年の事であった。
クラスの中の一人が、「なあ坊さん坊さん、こんなに人が死んじゃあ、坊さん儲かっただろうなあ」と言われ、唖然とした。クラスの中でも、落ち着きのない彼は、受験に関係のない私の授業にもあまり熱が入ることもなかったが、こんなことを言い出すとは思いもよらず、しばし言葉を失った。一息入れ、亡くなった方の事、家族の事、見た目ではなく未だに復興できていないことを話し、同じことがこの地で起こったらどうすると尋ねた。まともな答えなど返ってくるはずもなく、荒れた中学校の一面をまざまざと見せつけられ、我が身の非力さを恥じた。

社団法人神戸青年仏教徒会(神戸JBクラブ)寄稿記事より H22. 3. 21

■日想経行

日想経行

2月5日は、玄奘三蔵の命日です。皆さんは、三蔵法師と呼び親しんでいる方です。私たちが、普段読んでいる般若心経も玄奘三蔵の訳とされています。 三蔵法師とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のことであり、転じて訳経僧を指していうようになったそうです。特に、有名な玄奘のみが三蔵法師と呼ばれるようになりましたが、他にもたくさんの三蔵法師がおられます。

さて、その玄奘三蔵の舎利(お骨)が、戦時中の昭和19年に縁あって埼玉県岩槻市慈恩寺様にて供養されることになりました。また、数年後には、立派な塔が建てられました。今回、ご縁を頂き、法師の報恩のため、埼玉県仏教青年会有志にて日没を迎える夕刻にその御遺徳に報いるべく集うことになりました。塔の周辺を約1時間にわたって、経行(歩く座禅-一呼吸にて半歩進む)し読経をしました。

金澤寺僧侶

■第13代金澤寺青年会会長へバトンタッチ

阪神・淡路大震災15周年を迎えた17日、全日本仏教青年会(全日仏青、宮寺守正理事長)は被災地・神戸市長田区日吉5丁目の「あわせ地蔵」で慰霊法要を勤め、地元住民と亡くなった人を供養した。

震災後に建てられた「あわせ地蔵」では亡くなった日吉5丁目の住民27人を含め109人の犠牲者の名が書かれた名簿を前に、矢坂誠徳・元全日仏青理事長が導師を務め、僧侶15人が出仕して執行。発生時刻午前5時46分、金峯山青年僧の会の修験僧が法螺貝を吹き鳴らし、般若心経を読経。この間、僧侶、また日吉5丁目の石井弘利町会長はじめ地元住民らが焼香した。

全日仏青は震災発生の95年から08年まで毎年被災地を地元の仏青、神戸青年仏教徒会(亀山俊彦理事長)と共に慰霊行脚。昨年から行脚は取り止め、「あわせ地蔵」の他、同区海運町3丁目のカトリック鷹取教会で同教会と合同で法要を執行している。こちらにはメンバー20人が参加した。

兵庫区に自坊をもち被災した矢坂元理事長は「忘れないでと言いますが、何を忘れないかがよく分かっていないように思います。あの時みんな助け合って頑張ってきた、それが今日の復興につながった、それを忘れないでということ。死んでしまったことを悔やむより、震災を通していろんな人と出会った喜びをかみしめこれからの力にしたい」とコメント。

毎年慰霊に参加している宮寺理事長は「15年が経ち、人に例えると中学を卒業する年で、それを考えた時“震災の思い”をいつまで伝えていけるかが問われる時代になってきています。当たり前の有り難さを伝える難しさを感じております」と話した。

仏教タイムス-平成22年1月下旬記事より

■岡山県美作災害支援活動

災害支援活動

自然環境の大きな変化からでしょうが、想像を絶するような豪雨災害が近年は、日本各地で起きております。全日仏青では、2度にわたって復興支援活動を行わせていただきました。
今、僧侶として何をしなければならないのか?地域に生きる寺として、してほしいことを訴え、地元青年僧侶の皆様に、被災者に寄り添うことを訴えております。

■全日本仏教青年会理事長所信表明

この度、全日本仏教青年会第16期五條良知理事長の後を受け、17期理事長に就かせて頂きます曹洞宗青年宗侶の宮寺守正と申します。
私は、現在まで全国曹洞宗青年会16代会長、埼玉県仏教青年会副会長、全日本仏教青年会副理事長、監事を務めさせていただきました。
各団体で20余年に亘り青年会活動を務めた経験をもとに、各宗派仏青、各地域仏青の連絡協議体である全日本仏教青年会の会務を、これから2年間執行させて頂きます。

昨今の社会においては、数多くの社会問題がマスコミを賑わしております。私たちが青年僧侶として叡智を働かせ、答えることが求められているのではないでしょうか。幸いここに、全国各地よりお釈迦様の御教えをもとに、宗派の垣根を超えた集える場があります。互いに和合し、万民に広く教化活動をする智慧や手段を共に分かち合いたいと思います。そこで第17期は、全日仏青の門戸を更に広く開き、青年僧侶が自由に出入りできる場を作り上げます。

最初に、広報宣伝委員会・教化研修委員会・救援委員会・国際委員会の4つの委員会の活動を充実させます。
広報宣伝委員会では、全日仏青の活動を迅速かつ、正確に伝えることを目的にします。
1万部を超える会報誌の編集・発行、ホームページの更新はもとより、互いの情報交換の場として、加盟団体に限らず広く一般社会へまで広報活動を行いたいと思います。

教化研修委員会では、社会から求められる僧侶になることを目的とし、教化資料の作成としてカレンダー事業を展開します。宗派・地域を超えた13の加盟団体の特色をもとに作成します。さらには、現代社会に求められる僧侶への需要や期待に対して応えられるよう、さまざまな研修活動を展開します。
救援委員会では、今まで各宗派内で行われていた救援・ボランティア活動を、宗派の域を超える事で、広く活動支援できることを目標にすると同時に、互いの意識向上を目指します。菩薩行の精神で実践する事を目的とし、地域に活きる寺を作るべく努力します。
国際委員会では、WFBY(世界青年仏教徒連盟)の窓口として、広く国際的な見識を持った僧侶の育成に努めると共に御仏の教えをもとにした青少年の国際活動を支援します。

以上、全日仏青の活動主体となる4つの委員会活動を基盤として、平成23年には全国大会を開催いたします。

全国大会では、20数年に亘り行ってきた、青年仏教徒の日・奈良東大寺仏法興隆千僧法要をの大成を踏まえ、各宗派独自の法要に基づいたプログラムを組み、視覚・聴覚に、我々の熱意を訴えるようなコンサートを開催します。沢山の方々が集える会場を準備し、本物の宗教・伝統教団としての魅力を社会に訴え、人々の意識向上に努めます。
また、継続事業では、全日本仏教青年会創立30周年記念事業の一環として、後世に先人たちの恩恵を残すべく記念誌の発刊を行い広く頒布致します。

私たちは、法をよりどころとし自らを燈明とすべくことに、未だ足りないことを自覚すると同時に、常に向上心を持ち続け、2年の月日を無駄にしないように肝に銘じます。さらには、全日本仏教青年会の加盟団体の連携の向上を図り、今一度全日本仏教青年会の飛躍を目指し、執行部一丸となって努力致します。

第17期全日本仏教青年会理事長 宮寺守正