金澤寺について

金澤寺の歴史

十三仏板碑

金澤寺(こんたくじ)の創建は、建保6年(1218年)僧正達によって開基創建されたと、武蔵國郡村誌に記されている。
創建当時は天台宗の寺院で、ときがわ町慈光寺の末寺とされていた。その後衰微したが、禅宗曹洞宗、入間郡龍ケ谷村龍隠寺の16世、開山梅叟高和尚を招き、中興する。本尊には現在の御本尊でもある正觀音を安置した。

梅叟高和尚は天正十八(1590)年九月二十九日に寂す。慶安二(1649)年徳川幕府3代将軍家光のとき、八石五斗の御朱印を觀音堂領に賜わる。
以後、曹洞宗として鳩山町亀井地区の泉井・大橋・奥田を中心に地域の布教の拠点をして栄え、現在で34代目となる。

十三仏板碑

十三仏板碑

板碑とは、板碑塔婆、青石塔婆平仏などと呼ばれる供養塔です。鎌倉時代後期から南北朝中頃に最も多く造立され、以降、減少の一途をたどり江戸時代初期には造立されなくなります。

金澤寺の十三仏板碑は、現存最75cm、幅40cmで蓮座から上部、基部が欠損しています。
碑面に刻まれた「嘉永二年」の紀年号から、一三八八年(南北朝時代末期)に建立された町内で最も古い十三仏板碑であると言われ、さらに、種子の配列が一般的ではないとも言われており、十三仏板碑を研究する上で大変貴重な資料です。